コラム「男の顔ネクタイ」

Vol.1 「やはりネクタイも戦いの場から」1Update:April 3rd, 2014

2-5ひと昔、フランスの新進気鋭のデザイナー、テッドラピドスが日本進出の挨拶で帝国劇場のステージに立ったとき、進行役だった野際陽子が、
「それではラピドスさん、男性のオシャレ、を一言で言いますと?…」
とインタビューをしめくくろうとした。

打ち合わせに無かったのか一瞬沈黙のテッド・ラピドス、ポッと「武器です」。

印象に残るひとことだった。
「男の服装は戦争から生まれたものが多い」
のはアパレル界の人なら衆知のことだが・・・・・、

トレンチコート=(名のとおりの塹壕服、雨避けの肩当て、手榴弾を吊す金属の輪…)昔なつかしのセーラー服=(海に投げ出されたとき、脱ぎ易いためのダブダブ…)、ネクタイ=(クロアチアの出征兵士へ妻や恋人が無事を祈って贈った首に巻く布)などなど。

男の服飾をテッド・ラピドスが「武器」と答えてから数十年、戦争を知らない世代中心の世へと移り変わったが、40〜50代のビジネスマンは今も「企業戦士」と呼ばれている。

なぜネクタイを締めるのか、これを考えるのに一つの証言がある。

芸術の起源を解くドイツのヴオーリンガーが唱えた「空間恐怖」(恐場症)という説。

要するに、広い空間にポツンと立ったときなどに感じる異様な恐怖感、つまり、人間が「空間に対する恐怖感」を本能的に打ち消そうとする衝動的行動がなにかを創ることの起因になったと言う。

ついついの付き合い酒で「明日は祭日」を忘れ、泊まった都心のホテルから一歩出た途端、人・車なし、動くものなし。見慣れたはずのビル群と大通り、「ジー」と音をたてる静かな空間に一瞬足がすくむ。

都会化が際限なくつづいた昨今、身近に荒涼とした空間はもうないが、いつだったか夜の海を素っ裸で沖へ泳ぎ出したとき、不意に襲った全身を縛りつけるような得体の知れない恐怖感を思い出す。

外界の恐怖を避け洞窟に住んだ原始の人達だが、恐怖感を打ち消すため、出来るだけ何かで身を覆う、動脈が浮き出る部分を飾るようになったと言うことになる。つまり「恐怖感」を打ち消すための「覆う」と「飾る」が始まった。

動物同志が戦うとき、本能的に守り、たがいが狙い合うのは動脈が外に出た部分であり、なかでも最も致命的なのは首(頸動脈)。

駄足になるが、文永・弘安の役に日本武士が闘った蒙古兵士の真綿のキルティング甲冑に刃(歯)が立たず苦戦したためそれ以後に名刀を輩出したと文献にあるが日本刀は本来突くか頸動脈を切るものだったのでは?

ナポレオンの肖像にしかり近世の軍服のいやに高い襟は首を覆う。また、軍律厳しい日本の軍隊で帰りの燃料なしで飛び立つた若い特攻隊員にだけ許された白いマフラー。

いづれにしても、明治の「ネキタイ」に始まり、昭和初期まで「襟飾」と呼ばれたネクタイも、その後ながらく「ネックウェア(覆う)」とも呼ばれ「ネックアクセサリー(飾る)」とも呼ばれてきた。「首を覆う」と「首を飾る」は連綿とつづいてきたが、スカーフのような形への原点帰りとか、シャツ襟の装飾化へとか、その型は世につれて変るだろうが、人間が「動物」であるかぎりこの本能行動は絶えることなくつづくのだろう。おおむね華麗なのは雄。

かつてブラウン管の人気者になったエリマキトカゲがエリを広げるのはまさに危険に対する威嚇だという。

「戦うべき雄」が闘うとき、身を隠してばかりではいられない。戦いの場に臨む恐怖心を打ち消すために「身を覆う」と同時に「身を飾る」。戦国の武将の頚を護る『しころ』と呼ばれる組み板四垂の付いた兜。燃えるように赤い緋おどしの鎧など、太刀や矢から身を守るのと同時に、文字通り相対する敵を見事におどせるほど「華麗」でなければならなかった。

「空間恐怖説」は関連して「幼児の落書き」についても通じている。「真っ白の壁や襖を前にするとその空間を無くそうと幾度叱られても幼児は落書きをする。」
 叱るよりも先に絵や何かで空間を埋めてやれば落書きをしない。ましてや、すぐに押し入れや階段下に座布団などを持ち込んだり、木の上に自分達だけの小屋や洞窟をつくって遊ぶ幼児期を説得するのは難しいはず。つまり、幼児には「真っ白い空間が怖い」。少年期になんとなく、ナイフなんかを持ちたがったり、長髪にしてみたがる時期があるが、これも本能的親ばなれ期の一種の恐怖感からかもしれない。
(外敵から身を守るため広い空間を避けて洞窟に住んだが、その壁面の空間を、「祈り」も含めて絵や文字を描き込む本能的作業が「創作」の始まりとなったともいう。)
 今日も「企業戦士」と呼ばれる男性達がネクタイをしっかり締め、マイホームと呼ばれる洞窟から、厳しいビジネスという戦いの場へとでかけていく。(続く)