コラム「男の顔ネクタイ」

Vol.2 「やはりネクタイも戦いの場から」2Update:April 3rd, 2014

「首はあまり圧迫しないほうが健康に良い」と幾度となく出てきた医師の忠告も、いつか個人的見解の範囲で霧散し、男性はネクタイを締めつづけている。

「世界で一番オシャレを楽しんでいる若い男性は日本人」とも聞く昨今だが、数十年前、「サラリーマン諸君、寝食忘れて働いてきた我々を、ドブネズミルックなどと言わせておかず、もう少しオシャレを」とアパレル業界の戦中派あたりが集まって「ピーコック革命」のスローガンでのキャンペーンがあった。

子や群れを守るために戦うライオン、たて髪をなびかせているのは雄である。
孔雀が羽根を広げるのは雌に媚びるときらしいが、見事な羽根を持つのは雄。動物、おおむね華麗なのは雄。
かつてのブラウン管の人気者になったエリマキトカゲがエリを広げるのはまさに危険に対する威嚇だという。

「戦うべき雄」が闘うとき、身を隠してばかりはいられない。戦いの場に臨む恐怖感を打ち消すために「身を覆う」と同時に「身を飾る」。戦国の武将の頚を護る『しころ』と呼ばれる組み板四重の付いた兜。燃えるように赤い緋おどしの鎧など、太刀や矢から身を守るのと同時に、文字どおり相対する敵を見事におどせるほど「華麗」でなければならなかった。

「空間恐怖説」は関連して「幼児の落書き」についても通じている。「真っ白の壁や襖を前にするとその空間をなくそうと幾度叱られても幼児は落書きをする・・・。」叱るよりも先に絵や何かで空間を埋めてやれば落書きをしない。ましてや、すぐに押入れや階段下に座布団などを持ち込んだり、木の上に自分達だけの小屋や洞窟をつくって遊ぶ幼児期を説得するのは難しいはず。つまり、幼児は「真っ白い空間が怖い」。少年期になんとなく、ナイフなんかを持ちたがったり、長髪にしてみたがる時期があるが、これも本能的親ばなれ期の一種の恐怖感からかもしれない。
(外敵から身を守るため広い空間を避けて洞窟に住んだが、その壁面の空間を、「祈り」も含めて絵や文字を書き込む本能的作業が「創作」の始まりとなったという。)

今日も「企業戦士」と呼ばれる男性達がネクタイをしっかり締め、マイホームと呼ばれる洞窟から、厳しいビジネスという戦いの場へとでかけていく。